死のコスモソフィー

お世話になった会社の先輩から電話がありました。結婚して今の会社を辞めて埼玉の彼女の実家に行くそうです。一大決心をしたなぁ〜、と感心してみたり。
結婚に至るまで色々あったみたいで周りからは"絶対あの女に騙されているから止めておけ"と散々言われ続けたのに当人の気持ちは変わらなかった、と。たとえ騙されているんだとしても別にいいんじゃないですかね。


────私たちは非連続の存在であり、理解できない運命のなかで孤独に死んで行く個体であるが、それでも失われた連続体への郷愁を持ち続けている。


昨日から今日へ、今日から明日へと不可逆な時間のなかで君といる時間の全て。たとえ騙されているんだとしてもその時間を倖せだと思うなら、最期まで倖せだと思う事が出来たならそれはそれでいいのではないかしら。"結婚=倖せ"ではないかもしれないけれど。倖せなんてするでもされるでもなくふたりでなっていくものだから。

人は死ぬ。どんな人にも平等に死は訪れ、そして全てを切り離す。お金も名誉も愛もどれだけ持っていたとしても何一つとして浄土には持っていけない。死んだら、終わり。でもそれでいいのだと思う。今この一瞬の連続が日々を生きているということ。君といて倖せだと思える日常。それが今際の際まで続くのだとしたら自分の存在が、そして相手の存在が確かに永遠の愛に届いたのだと。


今日で結婚して丸3年。永遠の愛に至るにはまだまだ先は遠そうです……( ´Д`)σ)Д`)ァゥァゥ